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遠里小野小学校の歴史にみる戦争の影

「をりおの」 (大阪市立遠里小野小学校PTA:荻賢治・谷口明男:1953年3月31日)に
掲載された「年表抄」から抜粋して編集しました。

1941年12月8日 米英両国に対し宣戦の詔書喚発さる。
        爾後毎月8日大詔奉戴日と定められ、志気昂揚に努む。
1942年12月18日 防空貯水槽兼水泳プール竣工
1944年6月22日 日本陸軍軍用機一機講堂東側に激突し、
        講堂一部に延焼せしも直ちに消火に努め鎮火す。
1944年9月17日 戦況激化空襲の危険より退避のため、第一次学童集団疎開壮行式を挙行。
        疎開地貝塚市に出発す(237名)。7寮舎に収容す。
1944年12月6日 第二次学童集団疎開壮行式を挙行。前疎開者の寮に分宿す(17名)。
1944年12月28日 戦況緊迫に伴い御真影奉還式を挙行。南河内郡天野国民学校へ御奉遷申上ぐ。
1945年4月16日 空襲下につき入学式は行わず、
        入学児童は疎開地貝塚市に第三次集団疎開として出発す(15名)。
1945年5月14日 第四次集団疎開として前記疎開地へ追加疎開す(68名)。
1945年6月12日 大阪海兵団分室として本校を使用す。
1945年8月15日 太平洋戦争終戦の御勅書喚発さる。
1945年9月29日 集団疎開児童帰校す。
1945年12月28日 南河内郡天野国民学校へ御奉遷中の御真影を本校に御奉遷申上ぐ。
1946年1月29日 本校に拝戴の御真影を市当局を通じて御奉還申上ぐ。


★語句解説★

大詔奉戴日
 「大詔」とは1941年12月8日、日米開戦の際に昭和天皇が発布した開戦詔書を指し、1942年1月2日「大詔奉戴日」の設定が閣議決定された。当時、各学校では敗戦まで毎月8日に「大詔奉戴日」と称して、学校長が全校生徒を前に開戦詔書を「奉読」したり、朝1時間目の授業をカットして全校生徒で仁徳陵を参拝するところもあった。 なお、靖国神社内において「大詔奉戴○○年祭」と称した取り組みが毎年開催されている。

御真影
 当時、宮内省から各学校に貸与された、天皇・皇后の写真を指し、学校ごとに盛大な「拝戴式」が行なわれ、「御真影」は、校内の一定の場所(「御真影奉置所」「奉安殿」など)に「奉置」された。 「先生も生徒もそこを通る時は、深く一礼して通った。」とも言われている。

海兵団
 海軍の下士官や新兵の教育・訓練を行うところで、「大阪海兵団」は大阪商科大学(現大阪市立大学)の学舎を転用して設置されていた。


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