平和・民主・革新の日本をめざす住吉の会
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■取り組み:戦跡調査プロジェクト:随時レポート:文献に見る住吉区内諸施設の戦争被災状況■
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文献に見る住吉区内諸施設の戦争被災状況
これまでの文献調査で明らかになった、区内における諸施設の戦争被災状況です。 遠里小野国民学校(現遠里小野小学校) 「19・6・22 日本陸軍軍用機一機講堂東側に激突し、講堂一部に延焼せしも直ちに消火に努め鎮火す。」 「をりおの」(大阪市立遠里小野小学校PTA:荻賢治・谷口明男:1953年3月31日) 注:19・6・22は昭和十九年六月二二日。 清水丘国民学校(現清水丘小学校) 「昭和二十年七月九日の空襲により焼夷弾十二発が校内に落下したが、当時空室となっていた校舎を宿舎にしていた海兵団の消火活動により被害は無かった。」 「住吉区史」(住吉区制七十周年記念事業実行委員会:1996年3月31日) 注:七月九日は、七月十日の未明の誤りか。 安楽寺(庭井1丁目) 「戦時中空襲にあったが、危うく難をのがれ現在に至っている。その当時の焼跡が今も尚、黒く残っているという。」 「移りゆく住よし」(石田稔・石田和美:1988年12月25日) 大阪商科大学(現大阪市立大学) 「商大は空襲によって木造倉庫1棟と机・椅子200組を焼失しただけであった」 「大阪市立大学百年史 全学編 上巻」(大阪市立大学:1987年11月30日) 大阪府女子専門学校(前大阪女子大学、後に大阪府立大学に統合) 「昭和20年度3・13 大阪最初の空襲 焼夷弾本校投下」 「炊事室・食堂・生徒昇降口 昭和二十年三月十三日罹災」 「大阪女子大五十年史」(大阪女子大斐文会:1976年3月15日) |取り組みTOP|恒例の取り組み|「平和モニュメント」づくり|戦跡調査プロジェクト| |
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